前回、前々回と、晴海線の実地調査をしましたが、
JCTの形がどうもよくわからんで、いろいろ、再調査しました。
そしたら、たくさんの誤解がありました。
まず、今回の調査をするときに、
参考にさせていただいたのが、下記の2サイト。
勝手ですが、リンクを張らせて頂きます。
①「どらったら」さま
#78更新① 首都高晴海線の都心環状接続 中央区の反対を東京都はスルー?
http://ameblo.jp/dorattara/entry-11792925722.html
②「関東土木保安協会」さま
#355 【違算幻影】首都高速10号晴海線 第1車線 ~河川を潰した夢の跡~
http://ameblo.jp/kanto-ce/entry-12026698644.html
特に、①の方の地図がめっちゃ参考になりました。
さて、この二つのサイトを参考にしながら調査したわけですが、
晴海線は、築地市場の地下で2つに分岐し、銀座に行くA線と、
入船橋を通るB線が計画されている、と予想というか、読んでました。
そして、A線B線それぞれ、上り線と下り線があって、B線には上り線と下り線のそれぞれの入口がある(例のスロープ)ということだと思ってました。
そして、B線の新富町の出口のところがJCTになって、
「現状の出口の線が分岐して晴海線へ、湾岸線から来た線が、都心環状線の内回りと外回りにそれぞれ入るんだ」
と思ってました。
いや、それはおかしい。
なぜなら、そうするとA線の必要がない!
ここで全方向行けるんだから、A線の片方向のJCTというのが、いらないんです。
その違和感をもとに、検索検索~
「乗り物ニュース」
10号晴海線「脱盲腸」プラン 一般道の計画を首都高に
https://trafficnews.jp/post/40855/
おぉ、確信をつく記事が。
この記事から写真を転載します。
A線とB線はそれぞれ一方通行だと!?
それなら納得。
つまり、晴海線が出来たときの新富町はこんな感じ。
とすると、この入口と出口がある、両方向用のカルバートはなんなのか。
それも、その記事に書いてあります。
「東京都が築地と入船橋をつなぐバイパスとして、1971年に川を埋め立てて建設したが、1993年に中止した。その後、同じ年に再利用計画として晴海線を通すことにした。(上記記事の要約)」
ということらしいです。一般道の未成線の遺構であって、首都高の計画地、なだけなんですね。
首都高の未成線ではないわけだ。
このトンネルの首都高感の無さはそういうことなんですね。
過去の航空写真を追うと、新富町の付近の変遷はこんな感じ。
1956年:都心環状線も含めて全部川!
1963年:都心環状はあるが、新富町から築地川は川のまま
1971年:築地川埋め立て、川面の高さで駐車場(?)。新富町部は川。
1984年:現在の位置に新富町出口が出来る。
1989年:現在の形に公園化、地下には都道用にカルバートが埋められ、出入口が出来る。
1993年:都道計画中止、晴海線計画浮上
現在へ至る。
というかたちです。
なので、
この位置に右側の新富町方面からくる合流は存在しない。
このカルバートの片側は、晴海線計画が完成したとしても、永遠に使われない。
ということだですね。
未成線の首都高の入口…
ではない!
ということでした。
造るのに時間がかかるので、
道路行政って難しいですね。
これが、実地調査とネットで2時間調べた、
晴海線の真実です。
ではでは。






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